「華世さんに向けて一気に書きましたので、新しい生徒さんへの需要はないかも・・。」と添えて送ってくださいました。
現在は練習会をメインで開催して下さり、メンバーからの信頼もとてもあつい方です。
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自分を縛る足枷をはずしたい
もともと伝統的な気功を通してとても良い変化が起きていましたので、目に見えないものに対しての偏見は少ないつもりでいましたが、
Youtubeの動画で認知科学気功の存在を知ったときは、いったいどういう原理なのだろうと興味が湧くのと同時に、なんだか怪しい気持ちも強くありました。
それでも動画を見ることで変化が起きるということに好奇心を強く掻き立てられていました。
お話会で華世さんと直接お話させていただくことができ、良い意味で普通の感覚をお持ちの方だということに安心して講座を受講いたしました。
当初の私は身体や美容に対してのアプローチにどうにも興味を持てないでいました。
華世さんが身体や美容にもお詳しい方だったので、今思えば何てもったいないと思いますが、
当時はただひたすら気功の原理や情報空間についてもっと知りたい、自分を縛る足枷を外していきたいと思っていました。
他との比較、無価値感、自己否定
気感が乏しかった私にとっては情報世界の探索は真っ暗闇の中手探りで進んでいくようなものでしたが、
技術の伝授のおかげで手触りを感じられるようになり、ひたすら技術を繰り返し発火し、試し、ささやかなフィードバックを取る毎日でした。
氣感の鋭い仲間、コツを掴むのがうまい仲間を目にするたびに自分の無価値観や自己否定に気づかされる日々でしたが、
華世さんは私が気づかない私の強みや能力を信じ、柔らかくも力強い言葉と暖かいまなざしで根気強く見守ってくださいました。
私の拙い質問にもずいぶんとお付き合いしていただきました。
数か月がたち、自分なりに毎日練習や学びを重ねていたつもりでしたので、本当は比較する必要がないのに人と比べてしまい、
なんだか私は進みが遅いように感じてくすぶっていたときでした。
変化のきっかけ
ある日の練習会で、華世さんが自分を大切に扱うということについてのお話がありました。
身体を洗うときに、肌を、髪の毛一本一本を、パーツを、ひとつひとつ丁寧に意識に上げて、大切なものとして愛でること。
そのようなことは確か講座の初めのころから耳にしていたことでした。
でもそれまでの私にとっては自分がきれいになるだとか、肌がより美しくなるなどはどうでも良いことでしたので丁寧に実践してはいませんでした。
でもその時はなぜか「ちゃんとやってみようかな」と思い、身体を洗うときに「ありがとう」という気持ちを込めて、大切に大切にやさしく触れていましたら、自然に涙があふれてきました。
今までどれだけ適当にごしごしと洗っていたのだろう。
ガシガシと乾かしていたのだろう。
それはこれまでいかに自分のことを適当に、雑に、扱ってきたかを思い知らされた瞬間でした。
自分自身にそっぽをむいていたから
のちに気づくのですが、美容に興味がない、身体に興味がないなどと思っていたのは自分自身にそっぽを向いていたからで、
気功技術を使ってたくさんのフレームをコツコツと外していったからこそ、華世さんの「自分を大切にしよう」という言葉がとても自然に私の世界に入ってきたのでした。
美しさというのは何も外面的な美しさのことだけではなく、心身の健やかさのあらわれであること。
華世さんの美しさ、技術の精度は、毎日、毎瞬、丁寧に自分と向き合い、実践し続けた結果であること。
それが腹落ちした瞬間でした。
その時から気の感触がまた更に変わっていきました。
大切に扱うときの感覚は対象と自分が分かれていない感覚、それは気功に没頭しているときの感覚に近いように感じます。
まだまだ探求が始まったばかりですから、それもまた変わっていくのかもしれません。
ライフワークとして取り組んでいけるものに出会えたことは何より大きな喜びです。