’艶’を感じる人って?

2025/05/09

~変わっていないのに、違っていた

忘れていたカラダからのメッセージ。艶やかに生きる。

旅行先では、いつもとリズムが変わりますよね。


朝食のタイミング、場所の移動などで必然的に変わるものもあれば、

いつもより広いバスタブだったり、大きな鏡だったり、


自分を見つめる時間も長くなります。



こんなことがありました。

湯上がり、“そのままの自分"で過ごす時間


その日も、湯上りの身体のまま、しばらく過ごしていました。


「その日も、」というのは、

私は自宅でも、お風呂から上がったあと、

バスローブを羽織ることがほとんどだけど、

しばらく何も着ずにいたりすることも多いから。


アウトドアのプールで泳いだあと、

思ったより冷えたカラダを温めようと、バスタブにお湯をはって。



熱めのお湯の中で、

肌の表面ではなく、

ずっと奥から緩んで、じんわりと広がっていくカラダ

を感じてみました。





また、30分ほどジムでウォーキングをした時も。

他に誰もいなかったので、脚を動かすたびに使われるお尻の筋肉を触ってみたり、

自分のカラダを感じてみました。


扱いなれたはずの「自分のカラダ」なのに、

どこか、新しい手触りがあったんです。



 

「変わった」のではなく、「気づいた」だけかもしれない



新しい手触り──

それは、変わったのではなくて、

きっと、私がその手触りに気づいただけ。


ゆっくりカラダを感じることを

おざなりにしてきただけだったのかもしれない。

そう思ったんです。




話は戻って──



お風呂上りに、

持参したいつものローズの香りのするオイルではなく、

免税店で買ったシャネルのボディオイルを使ってみました。


使ったことのない香りです。




前日と同じように足の裏から塗り始め、

何か違うか確認していきました。


仕上がったとき。


何かが違っているのを感じたんです。


うるおい?手触り?もちろんそれも違う。


でも、それだけじゃなくて──


何かが湧き出るような、あふれるような感覚でした。




カラダはずっとここにいた



「いつもの」じゃないだけで、

何かを感じ取ろうとする力が一層働くようになるみたい。


ルーティンからは気づけない、カラダの変化。



この変化はやはり、

「変わった」のではなくて、

私が気付こうとしなかっただけだったのかもしれません。



カラダはずっとここにいて、

何かを伝えようとしてくれていたのかもしれません。




そして、

カラダの変化を感じ取ることで訪れる

意識の変化までじっくり味わいながら──


お風呂上りそのままで、外を眺めながらお茶を飲んだり、

鏡を見たりして過ごしました。




特別なことはしていないけれど、

“確かに何かが動き出している"──そんな気がしています。




今日も溢れる光の中で
華世




カラダに、戻る旅シリーズ