今日(12月3日)は私の56回目の誕生日。
誕生日は感謝する日だと思っている。
感謝というと、
無理やり感謝することなんて出来ないって
思う人もいるかもしれないけれど、
「お誕生日に感謝する」 なら
少し出来そうじゃないかな?宇宙に広がるネットワーク
仏教思想では
「縁起」という考え方がある。
(これから書くのは、
自分独自の考え方も入っているので、
完全な仏教思想ではないけれど。)
縁起がいい悪い、の意味ではなく、
自分を中心としたあらゆる繋がりのこと。
人も、動物も、食べ物も、モノも。
すべてが縁起のネットワークでつながっている。
存在とは
いま私がここに存在していること...
そこにはあらゆるひと、あらゆる存在の
繋がりのおかげ。
無数のひと、無数の存在の繋がりがある。
たとえば、モノだってそう。
私が今使っているパソコンだって
企画、製造、販売、運搬...
.無数の誰かが関わってここにある。
組み立てられている部品の数々。
海外から運ばれてきたものもあるはずだ。
さらには、その彼、彼女たちの家族、その祖先たち。
ひとりぼっちの人なんていない
そう考えると私は──
宇宙に無数に張り巡らされている縁起のネットワークのなかの、
小さな1点に過ぎない。
現在も過去も未来もこうして
私は存在してきたし、
これからも存在していくのだろう。
そして今、周りにいてくれている人たち。
’’周りにいてくれる人たち"とは、
縁起のネットワークの中でも特にいま、強く私に関わってくれている存在のこと。
だから、周りの人たちに感謝をすることは
とてもわかりやすいだろう。
(モノも同じ)
宇宙という果てしないつながり
そういう視点で宇宙全体を感じてみる。
無数に広がる縁起のネットワークを。
どれだけ感謝してもしきれなくなる。
ありがとう
昨夜は、一人一人顔を思い浮かべながら、
感謝をしながら眠りについた。
あっという間に寝落ちしてしまったので、
今日も続きをしようと思う^^
この文章を朝から読んでくれている方。
会社の帰りに開いてくれる方。
ごはんを食べながら読んでくれる方。
本当にありがとう。
感謝してもしきれない。
この宇宙のここでいま、
出会ってくれてありがとう。

’’縁起’’を知ると──
美しくしか、存在できなくなる
華世