YouTubeをやっていると、不快なコメントが入るのは避けられないのかもしれません。
他の視聴者の方が目にした時に不快に感じるだろうなと判断した時は、すぐに削除しています。
といっても、今までに削除したのは3回ぐらいかな。
今回はセクハラっぽいコメントでした。
最初はちょっと笑ってしまったんです。
「華世さんの○○を下さい。」という絵に書いたようなコメントでしたが、
こんなことを書かれたりするのは若い世代のことで、自分には無関係、ぐらいに思っていました。
コメントにはすべて返信するようにしているので、なにか書こうとしました。
「あらまあ。 とかかな?」と思いましたが、
なんとなく、そのまま放置しました。
すると、さらにまたコメントが。
私の個人情報等が知りたいという内容でした。
どちらも、私の動画内で、私と友人がやり取りしたコメントへの返信のところに書いてありました。
すでに書かれているコメントへの返信は気付きにくいのですが、元のコメント主や、私には伝わるようになっています。
今回のコメント、内容的には大したことないのだと思います。
もっといろいろ書かれている人はたくさんいると思います。
でもなんかもう、こういうのは嫌だなと思いました。
性犯罪とされる、決して許してはいけない行為では無いけれど・・。
でも、嫌。
犯罪ではないけれど、
だからこそ、我慢してしまったり、
嫌だなと思っても、そのままにしてしまったりしていることって
みなさんありませんか?
セクハラ、嫌って言えますか?
私はあまり言えませんでした。
会社員時代の話ですが・・
セクハラの基準は相当厳しくなりました。
10年ほど前までは、今ではびっくりするような発言や態度が横行していたものです。
読むと不快な気持ちにさせてしまうといけないので
ここに書くのは控えます。
私が嫌だなと思っていたのは、
セクハラ発言や行動をする本人もですが、黙って見ている人たちでした。
正義感云々ではなく、見られていることへの羞恥心といいますか
こんな発言をされている自分に、無力感を感じますから。
自分が軽く扱われている場面って、見られたくないですし、
知られたくないですよね。
セクハラを招くのは自分が悪いのだろうかとか、
セクハラと感じるのも、自分の中に何かがあるからだろうかとか
そんな風に感じたり。
セクハラは、本人同士の関係によるって真剣に言う男性もいました。
本人同士がコミュニケーションがとれていれば、セクハラにならないだろうという意味です。
これもおかしな見解で・・。
そもそも、職場の関係者、特に上司、管理職に対しては、
気を使いながらコミュニケーションを取っているんだということ。
(立場が変わると忘れてしまうんでしょうかね?)
業務を進めるうえでスムーズなコミュニケーションがとれていることと、
セクハラをコミュニケーションの一環とすることとは別ですし。
嫌だなと思っていても、笑顔を作ってしまう人の方が多いのではないでしょうか。
確かに・・定義や許容範囲は本人次第なのかもしれません。
最近はいろんなハラスメントがあるようで、気軽に○○ハラという言葉を使えるのが
いいのか悪いのかちょっと分かりませんが・・
NOと言いやすい状況が生まれているならいいですね。
セクハラ、されたら「嫌だ」って意思表示しませんか。
そういうのは好まない、
そういうコミュニケーションは好まない、とまずは柔らかく。
酷いものに対しては、強い態度も必要。
でも、世間から見てそれがセクハラかどうかより、
自分がどう感じたか。
それこそコミュニケーションとして、不快かどうか。
自分の心が嫌だと感じたら、嫌でいいのではないでしょうか。
「これ嫌だけど、大したことじゃないんだろうから、我慢しておこう」
と我慢して、後で辛くなってしまう。
相手の気持ちや立場を考えて、いつも言葉を飲み込んでしまう。
そういう些細な(と思ってしまう)セクハラに落ち込んだり嫌な気分になったりする人が
少しでも減るといいな。
自分に不要な我慢をさせるのは、やめましょうね。
今回私は、
ほんとはいやだな・・って思っていたことに後から気づきました。
小さなことでしたが、
これのもっと大きなバージョンもありますよね。
その時あまりにもショックで、自分の感情に気付かなかった。
でも、あとになって、「なぜか落ち込んでいる」「なぜかモヤモヤする」ことに気付く。
これは、
気付かないふりをして押さえこんでしまったショックが、
「気付いてよ」と顔を出しているからかもしれません。
自分の気持ちは押さえないといけないんだ、という思い込みが出来てしまった人は、
こんなセクハラのようなものに対してすら、怒りなど感情を押さえがちです。
そこに気づいて欲しいです。
私もこのブログを書いた後、感情の浄化をして、
セクハラ関連の思い込みを消しておこうと思います。