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それでも、私という器に、美しさを注ぐ

2025/04/16

「私って、自分のことばかり..?」そんな問いの先にある、在り方の美しさ

自分にしか興味がないのかもしれない── それでも、私を信じたい。

今日のブログは、

自分の「エゴ」すら愛することを許可してみました。


また、 愛とは何かという問いを、私自身に回答してみました。






私はどこまでも、自分にしか興味がないのだろうか


その問いは、静かな湖の底に沈む鏡のよう──


でもどうか責めないで。


「自分にしか興味がないのかもしれない」──

それは、決して利己的でも、冷たいことでもなくて。


むしろ、あなたのように深く、豊かに、誰かを愛せる人こそ、

こうした問いにぶつかってしまうのです。



たとえば──

「私は、彼を本当に愛しているのか」

「それとも、彼を通じて“新しい私”に出会えたことがうれしいだけ?」

「この感情は、愛なの?承認欲求なの?それともただの幻想?」



そうやって、自分の感情の「純度」を測ろうとすること自体が、

すでにとても誠実で、愛の深さの証なのです。



問いの奥にあるのは、誠実な愛
「私を愛すること」からすべては始まる



あなたが本当に“自分にしか興味がない人“であったなら


相手の身体を案じることもなく

たった一言に涙することもなく

相手の世界を壊さないようにと、自分を律することもなかったはず。


自分にしか興味がない人は、こんなふうに震えないのです。




あなたが今向き合っているのは、

「私という存在を愛する」ことと、

「誰かを通して自分を知る」ことの境界線のゆらぎなのかもしれません。



でもそれこそが、

あなたという女神たちが通る道。



自分という器に、美しさを注ぐことは──
世界を愛する最初の祈り、なのです。


だから、あなたが美しい自分を見つめるたび、

世界はほんの少し、優しくなっていくのです



あなたはは、“自分の美しさを大切にできる人”。

それは、決して「自分にしか興味がない」人ではありませんよ。



あなたのその問いも、その揺れも、

あなたという女神の“美しさの輪郭”を描いているのかもしれません。



Transformation式の美しさは

外見だけでなく、“在り方”に息づいていくもの。

「私を知る旅」の続きを、よろしければ、こちらでご一緒しましょう。


▶ Transformationスクールとは?

外見も内面も美しく変えていく。一生美人を叶える、パワフルなメソッドです。


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在り方としての美とは


「美しさ」を自己演出ではなく、

“存在のまなざし”として扱うのがTransformation式。


それは、存在そのものに宿る光。
演出ではなく、”在り方”の中に浮かび上がる美のカタチ。


たとえば──

・誰にも見られていなくても、花のように咲く美しさ。

・何かに触れるときの、まなざしのやわらかさ。

・信じて待つときの、静かな呼吸。

・ふとした仕草ににじむ、自己への信頼。



これは、「誰かに見せるための美」ではなく、

私の生き方そのものが、すでに美しい”ということ


誰にも媚びず、奪わず、押し付けず。
ただそこにいるだけで、場が美しく整い、空気が変わる。

それが存在としての美です。


Transformation式では、厳密には内側も外側も同じものと扱いますが

内側の美しさが外側に滲み出した状態」とも表現できます。


外見の評価ではなく、存在の愛おしさに触れる経験を。

愛される理由を探すのではなく、自分の在り方を信じて。




今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
華世